
青山真治によるフィルモグラフィからは、「物語」に対する共感と忌避というアンビヴァレンツ(両義的)な態度の共存、それらのあいだでの往還運動といったものが読み取れる。たとえば『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』では、「物語」を使い果たした末の廃墟であるかのような世界が描かれ、「物語」への忌避が感じられ た。だけどその一方で青山が堂々と大いなる「物語」への回帰を果たす際、おそらく彼は北九州に戻るのだろう。あるいは逆に北九州の風土が映画作家に大いなる「物語」への回帰を促す……というべきだろうか?
『サッド ヴァケイション』で浅野忠信演じる主人公健次の敵が、デビュー作『Helpless』('96)との対比で父から母へとシフトしていることに注目しなければならない。前作で父親は呆気なく自死するが、登場人物たちはその亡霊にとり憑かれるかのように暴力の担い手となる。だけど新たに見出された敵である母親は、やはり暴力を招き寄せつつ、その暴力を空転させてしまう。実際、本作は、大いなる物語への回帰である一方で、その物語を骨抜きにするかのように展開し、僕らは積極的な意味でのS軽さRに翻弄されてしまうのであり、それは母性を前にした男たちの当惑を反映している。そして、あえて大げさにいえば、このあらゆる暴力を骨抜きにし、翻弄してしまう磁場こそが、映画作家の想定する敵=日本であるはずなのだ。