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「内と外の問題に襲われた人間に対し家族がどう機能するか描きたかった」
Q:ユーモラスなシーンを入れた理由は?
黒沢:コメディにしようという意図はなかったんですけど、重たいテーマを背負ったものも、せこくて笑っちゃうようなものも、降りかかった当人にとっては重大な問題です。それと、家の中の些細な問題も、外に抱えている巨大な問題も、ひとりの人間にとっては等しく重大なことだと思うので、同じ程度に扱いました。それが今回やりたかったことなんです。内側のことも外側のこともひとりの人間に降りかかってきたとき、家族というシステムはどんな機能を見せるんだろう?と。煩わしい場合もあるし、ホッと息をつけるときもあるし、時にはユーモラスな瞬間かもしれない。家族という場がいろんなふうに見えてくればいいなと思ったんですね。
Q:食卓のシーンでは何を意識しましたか?
黒沢:家族の映画なので、家族で食事をしているシーンを何回か入れたいと思いまして、その都度少しずつ違って見えるようにしました。ただ、やはり(食事のときに)大した会話はないですね。イヤ〜な沈黙が支配してるだけ。しかし、家にいるときはなぜか家族で一緒に食事をしようとする。そこに何の意味があるかはもう誰も考えないんですけど、システムだけ残っている。ですから、父親が食べ出すまでは一応誰も食べ出さない。みんなバカげてるとわかってるけど、それをギリギリ守って家族のシステムがかろうじて持続している家庭を描いてみたんですね。
Q:この映画における暴力の役割は?
黒沢:家族をできる限り均等に描きたいと思ったときに、戦争に行って生死の境目にいる長男はどうしているんだ?というのがいつも引っかかっていたんです。そこから自然に、残された3人も死と直面しかねない局面を生きるべきだと思うようになりました。東京でも暴力は簡単に起こるし、人間はいつ死ぬか分からない。長男だけが辛い目に遭って、あとの3人がぬくぬくと平和な中で生きているわけではないだろう?というのがはっきり分かってきたんですね。
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